穴ぼこ生活

穴ぼこの空いた数だけ書き記すお気楽ブログ。穴ぼこ人生ここに極まリ!

おっさんをこじらせて

かれこれ半年近くもブログの更新から遠ざかっておりました。
とまぁ、これがリア充なオッサンのブログなら、更新する暇が無いほど忙しかったんだよね的なことを言いながら、サクッと更新しちゃうのかもしれないけれど、穴ぼこオヤジがリア充であろうはずもない訳で、むしろ、その逆の、な〜んもしたくない無気力な時間をず〜っと過ごしていたんだよね。
てか、本当のリア充は、そもそも今時ブログなんかやらないか(爆)

そんな訳で、多少なりとも忙しくなるべき年末年始も、な〜んにもしないで過ごしていたりと、お陰で、家の中は散らかり放題で手も付けられない有様。
とはいえ、そんなやる気ゼロな生活を送っていようとも、太陽は東から昇ってきてしまう訳で、やれやれ、まぁなんとか辛うじて生きております。
ということで、どうにもブログを更新する気力が全く沸いてこなかった次第。

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そういえば、以前、更新が滞った際は、穴ぼこ嫁の闘病生活に身を投じていて、ブログの更新どころの事態ではなかったので、もしかすると、また穴ぼこ生活に何か良からぬことでも起きているのでは?
なぞ、ご心配をいただいている方も、中にはいらっしゃったかも?しれませんが、どうかご安心下さい。
ただ単に、穴ぼこオヤジのメンタルが、だだズベりしていただけの話でございます。

とはいえ、だだズベりにもそれなりに理由があって、更新しようにも、アクセルとブレーキを同時に踏んでいるような感覚が続いていたのが正直なところで、自分の中で、ちょいとメンタルのお片付けをする必要があると思い、時間だけがいたずらに過ぎてしまったという次第。

【訃報】ライターの雨宮まみさん死去「こじらせ女子」の“生みの親“

流行語「こじらせ女子」を生み出したライターの雨宮まみさん(40)が11月15日に亡くなった。
雨宮さんが連載していた大和書房によると15日朝、自宅で床に倒れているところを警察に発見された。同社は「事故」で亡くなった、としている。葬儀は親族のみで執り行われ、一般向けのお別れ会は予定されていない。
雨宮さんのツイッターは11月14日で更新が途切れている。
関係者によると、11月16日に死去の連絡があり、17日に近親者のみのお別れ会が開かれる。雨宮さんのツイッターは11月14日で更新が途切れている。
2016/11/17(木) BuzzFeed Japan

去年11月に突然飛び込んできた雨宮まみという40歳になったばかりだった女性エッセイスト・ライターの訃報。
穴ぼこオヤジにしては柄にもなく、胸が締め付けられるような思いや、一方で、この日を予感していたような感覚もあったりとかで、密かに動揺している自分がおりました。
ちなみにこちら↓は公けに動揺していた人のブログ

追悼しない

思い出などは特に書かない。自分のためだけにわがままな文を書く。

腹が立つ気持ちと、悲しい気持ちと、恐怖がかわるがわる訪れる。忙しい。気持ちだけで大変なので仕事などできない、と思いながらちゃんとギリギリのことはやっているので、自分の鈍感さを頼もしく感じながらも憂う。毎日15回くらい泣いている。昨日も起きていきなり泣いてびっくりした。今も泣いている。

ずっと故人の悪口を言いつづけた。生きていたときに、生き方や作品に嫉妬こそあれ、悪口を言いたいと思ったことなどなかったが、いまはもうタンクにいっぱい悪口しかない。事故死だと。ふざけるな。ちょっと背伸びして生きるのが楽しい、開き直れた今のほうがいい、という態度を示していた人が死んだら今まで言ってたことがすべてただの強がり、ただの虚飾、ただの無理、ただの嘘だということじゃないか。

能町みね子のふつうにっき より抜粋して引用

全文をを読むと、突然、雨宮まみを失った心情がよく伝わってきて、むしろ、これ以上無い追悼文になっている。
恐らく、彼女の死に対して、同じように言葉では言い表せない複雑な感情を抱いた人が大勢いたんじゃなかろうか。
なにより、雨宮まみそのものが、言葉では言い表せない感情を魅力的に表現できる書き手だったからこそ、残された人々にとっては、出口を失った言い表せない感情に襲われしまうのかもしれないとも思ってみた。

さて、世間が雨宮まみを知ったのは「女子をこじらせて」という本が世に出てからだと思うのだけど、穴ぼこオヤジはというと、彼女の経歴にふさわしく、穴ぼこオヤジがスケベ心に身を任せてネットサーフィンをして辿り着いた、とあるエロサイトで読んだAV女優のインタビュー形式のコラムだったと記憶する。
女性のAVライターという物珍しさ以上に、そのインタビューの内容や文章力に興味を覚え、彼女のブログなどにアクセスするようになったのが、今から7〜8年程前のこと。
もちろん「こじらせ女子」という流行語はおろか、そもそも女性に存在を知られるはずもないAVライターを生業にしている時で、当時は、そのかたわら、後の流行語のきっかけとなる自叙伝的なエッセイを出版社系のサイトでウェブ連載中*1の真っ只中だった。

過大なコンプレックスを抱えながら、少女時代を過ごした田舎を飛び出して上京し、やがてAVライター稼業に至るまでを赤裸々に描いていた、まるでセルフカウンセリングをしているかのようなそのエッセイは、後に「女子をこじらせて」というタイトルで書籍化され、各方面から絶賛されるのと同時に「こじらせ女子」という流行語を生みだす社会現象にまで発展していく訳なんだけど、その後、一介のAVライターからエッセイストへと活動の幅を広げ、更に人気を博すこととなり、そこから先の活躍ぶりは、わざわざ穴ぼこブログで触れる必要もないくらい。
でもって、穴ぼこオヤジとしては、彼女の抱いていたコンプレックスに対して勝手にシンパシーを感じ、その才能を追っかけていた訳なんだけど、彼女が社会的に認められるようになっていく過程を、嬉しさと同時に羨望の眼差しで見てもいたんだよね。
しかし、そんな社会的成功を収め、一層の活躍が期待されている中での突然の訃報。
まさか、こんなあっけない幕切れが訪れるとは...

思い起こせば、AVライター時代の彼女のブログやエッセイには、自身が女性であることも含めて、自己肯定ができないままに社会的な居場所を求めてしまう葛藤のようなものが常に横たわっていて、そんな複雑な内面を出し惜しむことなくかつ共感を誘う文言で赤裸々に語る表現に、自ずと引き込まれ、自分の心情と重ね合わせるように彼女の書いた物を読んでいたんだよね。
恐らく穴ぼこオヤジに限らず、特にコンプレックスや生き辛さを覚えながら生きている多くの女性たちが抱いている、言葉では言い尽くせないような心のわだかまりを、代わりに世の中に向けて語り、ほどいてくれるような存在であったからこそ、女性を中心に多くの支持を得たんだと思う。

一方で、社会的に認められるようになってからの彼女はというと、ブランド物を買い漁るブログを立ち上げてみたり、女磨きに精を出すようになったりと、それまでとは違った面も見せるように。
それはまるで、今まで蓋をしてきた欲望を開放するかのようでもあり、穴ぼこオヤジ的には、なんとなく危なっかしさを感じるのと同時に、自然と彼女への興味が薄れていくことにもなっていったんだよね。
そんな訳で、最近では、たまにブログを覗くぐらいで、積極的に彼女の文章を追いかけるようなことも無くなってきたところでの、いきなりの訃報なだけに、ほんとびっくりした。

と同時に、その一報を目にした時に、もしや彼女は自死したのではないかという憶測が穴ぼこオヤジの頭をよぎる。
恐らく、同じように思った読者も少なくなかったんじゃなかろうか。
自らの内面と向き合うように書いていた人だけに、死に対する意識も強かったように思うし、事実、死を連想させるブログのエントリー*2なんかも存在していて、もちろん、それは生きることへの渇望の裏返しでもあったとは思うのだけど...

で、結局、今に至るまで、事故死以上の詳細は明らかにされておらず、その死因は未だ不明のまま。
そんな訳で、事故死にも関わらず、その詳細が語られないところからすると、自死、もしくは限りなく自死に近い事故死の可能性もあったんじゃなかろうかと、つい邪推をしてしまう。

まぁこれは、あくまで穴ぼこオヤジの妄想なんだけど、社会や女性らしさへのコンプレックス、即ち、社会や女らしさを受け入れられない自分自身を書いてきた彼女の文章が、ある瞬間から、社会に受け入れられ評価されるようになるということは、実は彼女にとっては、必ずしも喜ばしい現象ではなかったかもしれないと思えて仕方がないんだよね。
彼女が抱えていたコンプレックスが、まるで手の平を反されるように社会の側から迎え入れられることは、むしろ彼女のアイデンティティの喪失を意味することに繋がっていったのかもしれないと想像してしまう訳で、社会的に認められるほどに、自分の存在意義が失われていく錯覚に襲われていったような気がしてならない。
そう考えると、社会に対して蓋をしていた欲求を剥きだしにして、物欲を満たそうとしたり、女磨きに精を出すことは、自分の存在意義を確かめるための作業だったようにも思えるんだよね。

もちろん、表現者として、自分の書いた物が世の中のスポットライトを浴びるようになることで、満たされていく思いもあっただろうけど、一方で、彼女の表現の源泉でもあったコンプレックスがスポットライトによって、溶けて失われることで、自分の存在意義を見失い、むしろ心の闇が大きくなっていったとも考えられるんじゃないのかな。
そんな訳で、仮に自死でなかったとしても、彼女の中で死が日増しに身近な存在へとなっていったとしても不思議ではなかった気がする。

例えばブログを書くことが、生きることの証でもあったはずが、そのことによって、自らの死期を呼び寄せたのかもしれないのだとすれば、これほどに切なく虚しいことはない。
ただまぁ、これはすべて穴ぼこオヤジの一人よがりな想像でしかないんだけどね。

そんな訳で、この穴ぼこブログとは、とある中年のオッサンの人生をこじらせている日常を綴ったブログであり、そして実を言うと、雨宮まみの存在に少なからず影響を受けて書いていた感も否めない訳で、穴ぼこオヤジにとっても、彼女の死が意味するところはかなり大きい。
別に意図してブログの更新をしなかった訳じゃないんだけど、まるで彼女がこの世を去ったのとリンクするように、穴ぼこオヤジの心の奥底になんともいえない虚無感がもたらされているのは否めないんだよね。

果たして、こじらせたその先には、何があるのだろうか?
そんなことを考えずにはいられない穴ぼこオヤジなのでした。

ただまぁ、それでも、東から日は昇り、そして穴ぼこ生活は続くんだよね。


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*1:セックスをこじらせて http://www.pot.co.jp/kojirasete/

*2:雨宮まみのブログ「戦場のガールズ・ライフ」より 死にたくなる夜のこと http://mamiamamiya.hatenablog.com/entry/2016/06/08/031212