穴ぼこ生活

穴ぼこの空いた数だけ書き記すお気楽ブログ。穴ぼこ人生ここに極まリ!

気づけない人々

jisin.jp

女性蔑視発言から端を発した一連のドタバタ劇だけど、老いぼれた権力者の末路を見せつけられているようで、もはや喜劇ではなく、悲劇の様相を呈してきている。
で、前回更新時にも書いたように、そんな森会長を「老害」呼ばわりすることが女性差別と根っこは一緒だと考える一方で、ふと思ったのは「老害」って言葉が使われる時って、何気に年配の男性を指してばかりのような気が...

ということで、改めて「老害」の意味を調べてみると思ってた通り、要はネットから発展してきた言葉で、一般的な辞書には載っていない言葉だった。
要約すると、困った老人や他人に迷惑を掛けるような老人を指す時に用いられる言葉となっていて、まぁ穴ぼこオヤジも大体同じような認識でいたのだけど、唯一ネット辞典のgoo辞書に意味が書かれていたので読んでみたところ、かなり限定的な定義づけをしていて、なるほどと膝を打ってみた。

dictionary.goo.ne.jp

意味や解説、類語。企業や政党などで、中心人物が高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態。

あぁこれって、まさに森会長のことじゃん。
というか、それこそ今回のドタバタ劇の核心部分そのものでしょ。

つまりは、年功序列やキャリアの年数によって組織のヒエラルキーが構築され、年長者になればなるほど権力が強化されていく旧態依然のシステムと、社会意識の変化との間で芽生えたギャップこそが、今回のドタバタ劇の正体なんだよね。
しかもその組織は男社会で構成され、端から女性が入り込む余地などほとんど無かった訳で、ジェンダーギャップが生まれるのもそら当然の話だし、と同時にジェネレーションギャップを生みだす源泉にもなっているということだ。

そんな訳で「老害」呼ばわりされるのが男性に偏りがちなのは、皮肉なことに男社会が「老害」を生み出しているからであり、更に言えば、男女差別や年齢差別とも表裏一体の相関関係にあるということも伺える。
ただし、goo辞書の意味のように明確な定義付けで用いれば「老害」は差別的な表現に当たらなくもないけど、現状での用いられ方は、老人である属性を絡めて貶めることを目的にしているのが多く見受けられ、差別的な意味合いを感じずにはいられない。
いずれにしても、一般的な定義付けがなされていない言葉だけに、気軽に使うべきではないだろうね。
果たして国語辞書に載ることがあれば、どんな意味が定義付けされるのだろうか。

ところで、穴ぼこオヤジは組織が大の苦手なので、かつて読売グループの渡辺恒雄の傍若無人な振る舞いを見て、なぜあんなヨボヨボのお爺ちゃんが権力者でいられるのか不思議で仕方がなかったんだけど、考えるに、実は彼が権力を掌握し実態を伴って行使していたのではなくて、組織のヒエラルキーによって下位の人達ががわきまえて動いていたに過ぎなかったようにも思えるんだよね。
要は、日本の権力構造はガバナンスではなくヒエラルキーによって守られてきたということでもあり、即ち、辞任する森会長自らが後任人事に動いて川渕三郎を独断で進めようとしたのも、まさにガバナンスが欠如した行為そのものだし、それこそ会議ではなく夜の会食で意思決定が図られたり、交渉ではなく根回しで物事を進めたりするのも、全てに通底しているように思えるんだよね。

まさに日本の旧態依然のシステムが女性差別の温床になっていることを、モーニングショーにも出演している浜田敬子が鋭く指摘している。
更にJOCに関する1年半前の興味深い記事も見つけてみた。

mainichi.jp

関係者によると、採決で反対したのは、シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)の88年ソウル五輪銅メダリスト、小谷実可子氏(52)▽マラソンの00年シドニー五輪金メダリスト、高橋尚子氏(47)▽柔道の84年世界選手権金メダリスト、山口香氏(54)▽新体操のロサンゼルス五輪代表、山崎浩子氏(59)--の4理事で、いずれも女性。普段の公開の理事会でも積極的に発言する顔ぶれだった。

既に今日の事態を予想させる象徴的な出来事が数年前にあったんですな。
しかも、今まで公開してきたものを非公開にするって、まさに後退国そのものじゃん。
そういえば、どこぞの政権も非公開や黒塗りだったりシュレッダーが大好きだよね。
そりゃコロナ禍だろうが会食に勤しむってか。

要は、密室で物事が決まり、下々がそれをわきまえて実行に移すことで、この国の組織や権力が保たれてきた訳で、男社会だけでヒエラルキーを回し、そこに女性のみならずマイノリティな人々、即ち男社会にとって異質と思われるものを排除してきた体質が、日本の社会に染みついちゃってるんだろうね。
そんな旧態依然な男社会に染まった人々からすれば、恐らく、森会長自らも語っていたように、自身の発言が女性差別に値するということが、なかなか理解できないのだろう。

news.yahoo.co.jp

〝女性蔑視発言〟が発端となったが、小藪は「一部の発言を切り取って、印象を強めようという報道は別に今回だけでない」とした上で「僕も最初ネットかなんかで文字見たとき『あ、えらいこと言いはったな』と思ったんですけど、全文読んだら、たぶんみんな印象変わると思うんですよ」と分析。

こういった時に、安定の反応を示してくれるのが吉本芸人の小籔千豊
まぁ逆張り芸人でもあるけど、少なくとも、女性差別が飛び出した発言しかり、謝罪会見しかり、むしろ全文を読んだ方が、より差別的なジェンダー観が溢れているのだが、どうやら彼にもそれが理解ができないらしい。

森会長にしろ、そういえば二階幹事長も口にしていたけど、女性を称えたり、尊敬しているようなことを言えば女性差別ではないと思っている時点で、実はアウトなんだよね。
事の本質は、男社会を解体して密室を開放し、意思決定のプロセスの場に参加する同等の権利を、女性のみならず、あらゆる人々に保障することであり、森会長の発言は、組織のトップとして、その権利を女性という属性に紐づけた上で与えていないことを公然と明らかにしたからこそ差別に該当する訳で、要は人権の問題なんだけど、これを理解できないアホが、擁護する側はもちろんのこと、批判する側にもわんさといるようでマジで気が滅入る。
いくら女性に優しくしたりチヤホヤしていても、同等の権利が女性に認められていなければ、それは立派な女性差別なのだ。

結局のところ、それに気づいていない、かような無自覚な差別が実は一番厄介だったりも。
かくいう穴ぼこオヤジだって無自覚に差別をしていることはあるだろうし、無自覚であるがゆえに自分ではなかなか差別に気づけないという、ジレンマが常に存在していることでもあるんだよね。
ましてや、森会長や時の総理大臣のように、権力のヒエラルキーの上位に行けば行くほど、周囲はわきまえたり忖度する連中で固められていくので、権力が強まるほど、気づきを得る機会を失い、余計に無自覚な差別を振りまくることにもなっちゃうんじゃないのかな。

つまりは、差別を無くすには、いかにして気づき、気づいた時点でいかに変えられるかが大事なんだと思うけど、さすがに密室じゃ、気づきが得られることはほとんどないだろうね。

ということで、最後に僭越ながら、素晴らしい功績を築きながら、メディアに発言を切り取られて辞任に追い込まれ、涙ながらに男同士の契りを交わした川渕さんに後任を託せなかった森会長へ、ある著名なメッセージを送らせていただきたいと思う。

www.elle.com

「『最高裁判所に何人の女性判事がいれば十分か』と聞かれることがあります。私が『9人』と答えるとみんながショックを受けます。でも9人の判事が全員男性だったときは、誰もそれに疑問を抱かなかったのです」

昨年、惜しまれながら亡くなったアメリ最高裁の女性判事”ルース・ベイダー・ギンズバーグ”が生前に語っていた言葉。
ちなみにアメリ最高裁判事の定員は9人。
とあるインタビュー対してジョークとして語られた言葉らしいけど、非常に示唆に富んだ、重いメッセージが込められているように思うね。
それこそ4~5名の半数近くであれば男女平等だろうと単純に考えてしまった穴ぼこオヤジに、大いなる気づきをもたらせてくれた言葉でもある。
でもって実際に9名の判事全員が女性であったとしたら、果たして全員が男性判事で下される判決と同じ判決が下されていたのだろうか?というまさに「法の下の平等」にも通じる話で、ホント深く考えさせられる。

これ日本に置き換えると、例えば国会だと600人の女性議員に対して男性議員は100人程度になるし、JOCの役員なら20人の女性理事に対して男性理事は僅か5人ということになる。
そして重要な意思決定は女性だけでお茶をしながら決められ、男性の参加が許された女性だらけの会議では決定事項が追認されていくだけで、挙句、発言権を与えられたかと思えば、男は話が長いと言われる始末。
しかも当の女性達は、男に手料理を食べさせたりして優しくしているので、男性を差別しようなんてちっとも思ってないわ、と悪びれる様子もなし。

それでもあなたは、男性は差別されていないと言えますか。
あたしゃ言えないよ。

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