穴ぼこ生活

穴ぼこの空いた数だけ書き記すお気楽ブログ。穴ぼこ人生ここに極まリ!

ハル・デヴィッドは永遠に

穴ぼこ人生の傍らには、いつも音楽がありました。
でもって、穴ぼこ音楽生活の傍らには、バート・バカラックの音楽が欠かせませんでした。
そして、バート・バカラックの傍らには、いつもハル・デヴィッドという作詞家がいました。

このコンビが紡いだ名曲は数知れず。
もし、この二人がこの世に存在していなかったら、今のポップミュージックは、もっとつまらないものになっていたに違いありません。
とりわけ、穴ぼこ音楽生活にとって、この二人の存在は欠かせないものであり、まさに、穴ぼこ人生に影響を与えた音楽家だったと言っても過言ではないのです。

The Songs of Bacharach and David

The Songs of Bacharach and David

ハル・デヴィッドといえば、カーペンターズのヒット曲を筆頭に、彼の名前を知らなくても、彼が詞を書いた曲を知らない人はほとんどいないのではないかと思うのだけど、先日、そんな彼の死を知ってショックを受けている最中、それ以上に寂しく感じてしまったのが、彼の訃報を知らせる日本の報道があまりに少なかったこと。

作家本人からしてみれば、自分の名前よりも、自分の作品が人々の記憶に残り続けることの方が、価値あることなのかもしれないけど、せめて、こんな時は、僕らの人生を豊かなものにしてくれた偉大な作詞家を、称え、そして偲びたいと切に思うのです。

ちなみに、私的な話をさせてもらうと、子供の頃、家のオーディオからよく流れていたカーペンターズの音楽が、ハル・デヴィッドとの最初の出会いだったように記憶しています。
でもって、後の穴ぼこ音楽の嗜好性からすると、恐らく、この時に、二人の作品が脳内に深く刻み込まれたことだけは、どうやら間違いなさそう(笑)
他にも、穴ぼこお気に入りの映画「明日に向かって撃て」の主題歌「雨にぬれても」が彼らの楽曲だったり、
面白いところでは、穴ぼこ社会人になって、音楽関係の仕事に携わるようになるのだけども、そのスタートも、実はバート・バカッラク好きが珍しいからとの理由で採用してもらったのが始まりだったりしました(笑)
まさに、バート・バカラックとハル・デヴィッドの存在なくして、穴ぼこ人生は語れなかったりする訳で、そんな彼の死を知ってからというもの、文字通り?心に穴ぼこがちょこっと空いたような気がしているのです(泣)
そんな訳で、改めて合掌。

でもって、ついでの話。
まぁどうしても記憶に残る曲ってのは、メロディーの方の印象が強くなってしまいがちだけど、名曲と言われる曲には、必ずやと言っていいほど、優れた詞がそのメロディーをしっかりと支えているものです。
一見ありふれたフレーズでも、それがメロディーにさりげなく乗っかると、たちまち普遍的な世界を生み出していくのが詞の持つ力なんだと思うけど、そんなのって、決して簡単に書けるものじゃぁない。
それこそ、カーペンターズの「Close to You」なんて、英語が全くわからない年頃から聴いていたけど、子供ながらに詞の世界感とサビのフレーズが自然に入ってきてたもんね(笑)
メロディーに言葉を乗せることで、魔法をかけて名曲にしてしまうのが、真の作詞家なんだと思います。

そう考えると、最近の日本の音楽シーンを見渡した時、いわゆる作詞家と言われる人達が減ってきたのが残念で仕方が無い。
色々な事情で、アーティストや歌手自身が作詞を手がけるようになってきたことが、その背景にあると思っているんだけど、結果的に作品性の低い楽曲が生み出されることにも繋がっちゃっている訳で、いわゆる国民的ヒット曲や後世に残るような魅力的な曲が少なくなったのも、少なからず作詞が軽んじられるようになったことが影響しているのではないかと、思う次第なのです。
かつては、阿久悠松本隆荒木とよひさ康珍化などなど希代の作詞家が日本にも一杯いたんだけどなぁ。
この先、そういった作詞家はもう出てこないのかもしれないね。

ちなみに今だと、秋元康が作詞家としても活躍していることになるのだろうけど、彼の作詞は、それこそ「紡ぐ」ように書くというよりも、「狙う」ように書いている感じがして、穴ぼこの琴線に触れることはほとんどありません(笑)
まぁでも、狙って書けるという才能も、それはそれで凄いと思うけど...

とまぁ、なんだか話が広がり過ぎちゃったけど、そんな音楽の魅力が失われつつある時代に、突然飛び込んできたハル・デヴィッドの訃報が、なんだか象徴的な出来事のように思えてしまいました。
そんな訳で、今回のエントリーはハル・デヴィッドを偲びながらお別れ。