穴ぼこ生活

穴ぼこの空いた数だけ書き記すお気楽ブログ。穴ぼこ人生ここに極まリ!

ジーク スガ?!

www.yomiuri.co.jp

経済界は元より世間の反応があまりに鈍すぎて背筋が凍る思いがする。
これ、やっていることはまるで独裁か社会主義国家だぞ。
つまりは国の通信事業の許認可権を盾にした恫喝に、NTTドコモが屈した図でしかないんだけど。
まがりなりにも日本は自由経済の国な訳で、元国営とはいえ、一民間企業に対して、携帯電話料金の値下げに総理大臣自ら介入するのは、どう考えても越権行為でしょ。
でもって、いとも簡単に忖度できちゃうNTTドコモの利益構造にもムカッ腹が立ったし、そもそも経団連はこんな国家の横暴を黙って見ているつもりなのか?
まさに国家が授けた既得権益を、時の総理が恣意的に差配しようとしている訳で、かような非民主的な政治介入がまかり通るのだとしたら、ここは中国か北朝鮮、はたまたロシアか?!って話だと思うのだけど。
元より、2%のインフレを目指す経済政策を継続していくはずが、国が値下げを主導するって、もはや整合性も失っているし。

www.nikkei.com

仮に、携帯料金を下げる方向に持って行きたいのなら、通信事業の規制緩和を行って新規参入を図るとか、市場経済による競争原理を働かせる政策を行うべきだと思うのだが、いわゆる経済右派ネオリベ界隈から、かような声がさほど聞こえてこないのも、これまた不思議でしょうがない。
それこそ民間にEテレを売却せよ!とかほざいている、政権べったりのなんちゃってネオリベ大学教授さんよ、こういう時こそ、菅総理に物申すべきなんじゃねぇの。

news.livedoor.com

安倍政権になってから如実に感じてることなんだけど、民主主義の無力化に勤しみ、国家社会主義への道へと着実に突き進んでいるのが、今の日本政治の実態なんだよね。
本物の右翼や左翼がとっくに化石化していることは分かってたけど、本物のネオリベも、存在していないということなんだろうね。
それってもはや独裁国家じゃん。

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秋のオーガスタ

アメリカはオハイオ州にあるオーガスタナショナルゴルフクラブにて毎年開かれているマスターズトーナメントなんだけど、今年はコロナ禍の変則スケジュールによって、初の秋開催となったことで日照時間も短くなった為か、選手達のスタート時間*1も早まったりで、何気に生中継を見るには難儀する羽目となり、お陰で最終日を迎える頃には体がボロボロになってしまった。
というのも、丁度、日本時間の深夜に上位選手達がスタートするので、リビングのソファーに腰かけてのんびり見ていたはずが、知らぬ間に寝落ちしつつは、ふと目が覚めては起きて見るの繰り返しで、もはや試合の記憶が曖昧かつ断片的でしかないんだよね。
元より、松山クンが、もう少し優勝争いに加わっていれば、目をかっ開いて見てたのかもしれなかったけど、結局、トーナメントの方はダスティン・ジョンソンの無双振りが際立って終わるマスターズとなった。
とはいえ、これまでメジャー大会では、幾度も優勝を逃したり、不運に見舞われることも多々あったので、文字通り、悲願のマスターズ制覇を成し遂げたDJの目にも涙だったのは、ちょっと感動的だったね。

www.youtube.com

ちなみに、マスターズは85年のB・ランガーの優勝以来、欠かさず見てきているのだけど、今回、初の試みとなった秋開催は、なんだかマスターズのようであって、マスターズのようではなかった大会だった。
特にグリーンコンデションが春の時とは全く異なり、柔らかくてボールもよく止まりやすくなっていて、ガラスのグリーンは一体どこへやら。
なので、一転、スコアの伸ばし合いの展開になるかと思えば、必ずしもそうではなくて、皆さん、それなりにパッティングには苦しんでいたご様子。
加えて、パトロン(ギャラリー)不在や紅葉とかで、いつもと見える景色が異なっていただけでなく、春には生えて無い、バミューダ芝が選手達にちょっかいも出していたようで、他メジャーとは違って、毎年同じコースで行われる大会だけに、むしろ、コースに対するこれまでの経験や知識が選手達を惑わす方向に作用した側面もあったらしい。

www.golfdigest-minna.jp

タイガー・ウッズの登場以来、選手達のアスリート化に磨きがかかり、クラブやボールの進化も留まるところを知らないけど、五感による情報収集や、それらを分析して判断する能力が求められることが、ゴルフをプレーする上では、今も変わることのない重要な要素な訳で、ある意味、選手達の能力が試される大会だったようにも思えるね。
そういった意味では世界ランクが証明しているように、総合力に優れたDJが優勝したことは必然だったとも言えるのかもしれない。

で、DJや松山の影に隠れてあまり話題になってないけど、そんな猛者どもに囲まれながら、実は穴ぼこオヤジがマスターズを見るきっかけにもなった35年前の覇者でもある御年63歳となったベルンハルト・ランガーが、あろうことか通算3アンダーの29位に入る快挙を成し遂げていたという事実。
まさに穴ぼこオヤジが高校生だった頃に優勝を果たしたランガーが、未だ現役でプレーしているのもさることながら、世界のトッププロに交じって、世界屈指の難コースをアンダーパーで回り、自身が優勝したメジャートーナメントで35年後にもなっても予選突破を果たして30位以内に入っちゃうって、どんだけど凄いことか。
これって、DJの優勝も素晴らしいことなんだけど、それ以上に称賛に価するビッグニュースだと思うのだけどなぁ。
しかも、3日目にはR・マキロイ、4日目は今話題のB・デシャンボーという、そうそうたる超ビッグヒッター達と同組で回った挙句、デシャンボーよりも上位に入るとかって、もはや漫画の世界でしょ。

ちなみに、ランガーが優勝した35年前は、まだパーシモン(木製)のドライバーが使われていた時代で、プロのドライバーの飛距離にしたって、せいぜい250~260ヤードぐらいだったのが、今や、選手の肉体改造も進み、クラブにも最先端の素材や技術が使われるようになり、300ヤード以上は飛ばさないと勝てない時代に突入した中で、63歳のプロゴルファーが同じフィールドで戦って成績を残すって、今のゴルフの常識では到底考えられない出来事だよ。

思うに、最もオーガスタを知り尽くしているランガーだからこそ成し得たということは言えそうだけど、つまりは、いくらゴルフが進化したからといって、簡単に攻略させてもらえないのが、このオーガスタナショナルGCというところなんだろうね。
そんな訳で、過去、幾度となく様々な奇跡を見せてくれたマスターズトトーナメントだけど、今年は、悲運に見舞われてきたダスティンと、年代を越えて挑戦し続けているランガーに、オーガスタの女神が微笑んでくれたのかな。

いつもとは違う妙な感じのマスターズトーナメントではあったけど、例年であれば、名残惜しさを抱えながら、また1年を待つところ、半年後には、また開かれるというのは、ファンにとってはありがたいかもね。

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*1:後で知ったのだけど、中継局のNFLの試合開始時間の影響で早まったらしい

紅白歌合戦で気になっているコト

坂本冬美の新曲が、大人のラブサスペンス感満載で話題になっているらしい。


坂本冬美 - 「ブッダのように私は死んだ」Music Video

桑田佳祐の悪ノリに坂本冬美が乗っかったように見えるけど、そもそもは坂本冬美から熱烈なオファーが実って実現した楽曲だそうな。
PVもしっかり作りこんでいて、制作陣の本気が伝わってくるね。
話題性は充分だけど、果たして、どこまで売れるのだろうか。
てか、この曲、紅白で歌うのか?

そういえば、紅白で歌えるか問題で「香水」の”ドルチェ&ガッバーナ”の”歌詞がネットのニュースになってたね。

www.j-cast.com

どうやらNHK側は不問にするようだけど、個人的には、頭の固いNHKで押し切ってもらって、むしろ、どんな歌詞に書き換えるのか、期待してみたかったんだけどなぁ。

それこそ、このココリコ遠藤と狩野英孝のカバーなんかお勧めだったのに。

www.youtube.com

遠藤の「ドルガバ」連呼が脳内再生されまくりで、ちとヤラれます。

そんな訳で、結局のところ、毎年、なんやかんやで紅白をだらだらと見してしまうんだけど、今年は、ベビメタだけは正座して見ようと思っている穴ぼこオヤジなのでした。
まぁ彼女達にとって、NHKホールは狭過ぎるだろうけど...

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報知じゃなくて放置

hochi.news

北村弁護士ってホントに弁護士なのか?
以前から、強者をおもねる人間なんだろうなぁとは思っていたけど、これはそれ以前に弁護士としてどうなのよ!というレベルの発言だと思う。

 スタジオでは、感染拡大について議論。政府の「GoToキャンペーン」の是非論への意見も出た。その中で昭和大学の二木芳人客員教授は「第3波は急増なんです。急増してから手を出しても遅い。GoToキャンペーンを考えるなら今やらないと」などと提言した。この意見に北村晴男弁護士は「本当に難しい」とした上で「申し訳ないですけど、毎年インフルエンザでは、冬場にだいたい3000人ぐらい。この新型コロナでお亡くなりになったのは、1000人台だと思うんです。だから、どうしてそんなにインフルエンザと違うのかがどうしても素人には理解できない」とコメントしていた。

同じ風邪だからといって、異なる条件下での死亡者数を同列に扱ってコロナを過小評価するのはやっちゃいかんでしょ。
少なくとも、客観性を重んじる弁護士が言うことじゃない。
ましてやテレビの場ともなれば、もはやデマを流しているに等しい行為と言わざるをえない。
仮に死亡者数を比較するのであれば、コロナ禍における両者の死亡者数で比較しないと意味がないし、加えて、死亡率で比較する必要もあるはずなんだけどねぇ。

ちなみに、コロナ禍でのインフルエンザに関しては、コロナ対策の影響で患者数にかなりの減少傾向が見られているデータも出ていて、となれば、インフルエンザによる死亡者数も減少する可能性も高い。

www.jiji.com

でもってコロナの場合は、インフルと違って未だ有効なワクチンや特効薬が無い現状に加えて、重症化になれば医療体制に高い負荷を与えることにもなる訳で、社会を維持するためにも、インフルよりもはるかに万全な対策を講じることになんら疑問の余地はないでしょ。

まさか弁護士ともあろうお方が、こんな事に気付かないで平然と発したのだとすれば、あまりに無自覚としか言いようがないし、逆に意図した上での発言だとしたら悪質極まりない話な訳で、どちらにしろ弁護士を名乗るを資格があるとは到底思えないよね。
尚、ヤフトピに載っていたニュースだったので、コメント欄をチラ見したら、案の定、北村弁護士に同意する書き込みで溢れかえっていて軽く眩暈がした。
そもそも、これを垂れ流すように報じている報知も罪深いわな。

いやほんと、学術会議での一件がまさに象徴的だったけど、コロナウィルス以上に反知性主義ウィルスが流行していると感じる今日この頃。

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惰性は続くよどこまでも

日本社会のスクラップ&ビルドよろしく、安倍政権が日本をぶっ壊してくれるものと期待していたのだけど、まさに道半ばにして、当の首相本人の体調が先に壊れてしまった。
持病の再発はストレスが最大の要因とも言われてるけど、元々ストレスが高い特殊な職業とはいえ、こうなるまでストレスを高めるに至ったのも、これまでの自身の立ち振る舞いが招いた結果でもある訳で、申し訳ないけど、まったく同情の余地はないと思っている。

そもそも、辞任や政権が代わっていてもおかしくない政治問題を連発していただけに、安倍首相にほんの少しでも政治家としての良心があったのならば、とっくに退陣をして、今頃は、他人事のようにコロナ社会を眺めていることが出来ていたかもしれなかった訳で、にも関わらず、あらゆる政治問題を全て有耶無耶にして、自らの正当化に腐心し、政権を維持することに固執してきたがために、いざコロナ危機を前にした途端、有耶無耶が通用しない事態に、政治的な機能不全に陥ったというのが本当のことろなのだと思う。

穴ぼこオヤジ的には、体調不良が伝えられる報道の出所が気になっていたのだけど、首相筋からしか漏れ伝わりようのない話だけに、恐らく辞めるタイミングをずっと見計らっていたのだろう。
そりゃこんなコロナ禍の中、首相の座にしがみついていたところで、重大な決断を強いられるわ、過大な責任が問われるわ、ばかりで、なんら美味しい思いが出来るような状況じゃないからねぇ。
首相どころか政治家としての資質を欠いた三代目のボンボン息子からすれば、この重責に耐えらるはずもないのは当たり前の話。
体調不良は誠にお気の毒だけど、自分達にとって都合の悪い相手や物事を無力化し自らを正当化してみせることで長期政権を築いてきただけに、もはや自らが退く理由すら失っていったのは、まさに自業自得の極みで、笑い話にすらなっていないよね。
結局のところ、無駄に政権運営にしがみ続けてきたツケが、コロナ禍によって過度なストレスとなって噴出したようなもんで、安倍首相にとって、持病の悪化はむしろ好都合だったのかもしれないね。
そんな訳で、自らを正当化したまま、自分だけ舞台を降りるという、まさに最後の最後まで「安倍」らしさ満開の逃走劇もとい辞任劇だったように思う。

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ただし、安倍首相自らが政治責任を負った訳でも、選挙で審判を下された訳でもないので、これまで安倍政権が築き上げた、民主主義政治を破壊してきた数々のレガシーは、これからも自民党政権に引き継がれていくことになるだろう。
即ち、安倍首相が辞任さえすれば、政治が少しはまとになるという話ではなく、政治的な正しさを失ったまま、恐らくこの先も自民党政権がだらだらと続いていくものと想像している。

ただし、安倍政権のご都合主義によって残された負の遺産は数知れず、ましてやコロナ禍の真っただ中で、総理大臣の椅子に座るということは、言うなれば火中の栗を拾いに行くようなもんで、ポスト安倍の座を狙う政治家とて、二の足を踏まざるを得ない状況ではあるだろうね。
ということからして、菅官房長官が、その屋台骨を築き上げてきたご都合主義政治を今更手放す訳にもいかず、菅さん自ら重い腰を上げざるを得なくなったというのが現状なのだろう。

次期自民党総裁を巡る一連の動きもそうだけど、代わり映えしないメンツに、談合まがいの動きとか、もはや時代が止まっているとしか思えない。
結局のところ、今の自民党政治は惰性に支配されているとも言え、菅さんは政権の延命装置としての役割を担うだけで、国民不在の政治がこの先も続くことだけは明らかだろうね。

ついでに、どうでもいい話として、得意げな笑みを浮かべながら各局のワイドショーを梯子しまくってるスシローこと田崎史郎を見ながら、ふとよぎったんだけど、安倍首相をヨイショしてきた、なんちゃって保守やビジネス保守の与党議員(特に某女性議員達)や評論家の面々は、今後どういうスタンスを取っていくのだろうか。
どうにも、菅マンセーって絵面は浮かびにくいんだよねぇ。

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そういった意味でも「安倍晋三」というのは特異な政治家でもあったんだなぁと、思い知らされる気がしてくる。
神輿の上は軽くてパーがいいなんて言う、永田町の格言?があるけど、これほどまでに神輿の上に相応しい政治家もいなかったんじゃなかろうか。
穴ぼこオヤジにとっての安倍晋三という人物像は、コンプレックスをまとった空虚な人って感じで、首相は元より、政治家としての信念や信条を一切感じることはなかった訳なんだけど、結果、彼が首相として成し遂げたのは、政治的正しさの破壊であったり、ご都合主義政治の体現であったりと、周囲の政治家や官僚、はたまたメディアに担がれるがままに首相として振る舞い続けた空っぽな政治だったように思う。
一方で、そんな政権を支え続けてきた日本社会という側面もあった訳で、穴ぼこオヤジにとっては、見るに耐えない長期政権ではあったけども、見方を変えれば、政治や社会の変化を望まない(安定政権)流れや、ご都合主義を希求するような、実は日本社会に横たわっている歪んだ願望を具現化してきたのが安倍晋三の存在だったとも言え、だからこそ長期政権を築けたとも言えるんだよね。
即ち、時代が生んだ政治家が「安倍晋三」でもあったということなのかもしれない。
ただし、その実態は、臭い物には蓋をし、面倒なことは先送りしてきたことで保たれてきた偽りの安定であって、まさに、ご飯論法を重ねて、ただ単に現実逃避してきただけに過ぎず、政治や社会の停滞を招いて思考停止に陥っていた約8年間でもあったということだ。

それこそ世界と比較すれば、むしろ停滞どころか後退すらしているのが現状で、政治も経済も社会も着実に劣化が進んでいて、残念ながら、今の日本は「先進国」ではなく「後退国」と呼んだ方がよっぽど相応しいんだよね。
てか、そんな現実を見たくないからこそ、まやかしの安倍政権が続いてきたとも言えそうだけど...

woman.mynavi.jp

www.nikkei.com

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それこそ、日本に民主主義が機能していれば、とっくに政権交代が起きていてもおかしくない国状のはずなんだけど、にも拘らず、未だその気配が微塵もないのも、与党に限らず、野党もまた惰性が働き続けた8年間でもあったからなんだよね。
そもそも政治目的の手段であるはずの政権交代を、民主党が目的そのものにしてしまったが為に、いざ政権交代を成し遂げた途端に目的を失ってしまって政権運営が機能不全に陥り、その後も、党内の覇権争いと政権維持に労を重ねて時間を費やしたことで、挙句、国民の失望を買って右傾化した自民党復権を許した訳なんだけど、下野した後も、何ら顧みることをせず、野党第一党の座にしがみ続けて、益々有権者の信頼を失っていったというのが、民主党の歴史だったように思う。
今回の新党結成の話にしても、あの頃と変わり映えしない顔ぶれが、再集結するだけの話で、実際にやっていることは「民主党ロンダリングに過ぎないという有様。
まさに与野党揃って看板だけを付け替えて、その本質は一切変わらないという、後退国に相応しい政治劇を披露しているに過ぎないんだよね。

まぁ、こんな世界の片隅のようなブログが野党の関係者の目に届くとは思えないけど、一言、言っておきたいのは、もし本当に本気で政権交代を成し遂げたいのであれば、枝野、菅、岡田、野田、海江田、蓮舫や、ついでに小沢、福島、といった民主党政権時代の主だった政治家は速やかに引退をすべきだろうね。

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彼らが野党の国会議員としてのさばっている限り、政権交代は絶対に起こらないと断言できるよ。
変革を期待する有権者が次の政治を託したいのは、新しい顔、新しい世代の野党であり、今もなお野党に居座って、変革を訴えているような輩を信用しろってのは、あまりにご都合主義な話でしかない。
惰性を止めるには、それまでの流れを断ち切ることしかない訳で、旧民主党のお歴々が本当に日本の政治状況を変えたいと思っているのであれば、まずは彼等自身が政界から身を引き、次の世代に託すべきなんだけど、土台無理な話なのだろうなぁ。
結局のところ、惰性から抜け出せないのが今の日本の姿だということなんだろうね。

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フィロソフィーのダンスと宮野弦士

かつてのブームも一段落を迎え、今や飽和状態ともいえるアイドル業界。
コロナ禍もあって、更に生存競争の厳しさが日々増しているような感じも。
まさにそんな流れを象徴するかのように「欅坂46」が改名するとのニュースがネット上を賑わし、アイドルファンのみならず世間をざわつかせていたけど、穴ぼこオヤジ的にはこっちのネタの方がざわついてしまった。

gentomiyano.hatenablog.com

デビューから5年間、楽曲およびライブ演奏を担当してきた
フィロソフィーのダンス」のプロジェクトから、
本年1月をもちまして完全に離れることになりました。


今から2年程前に、オヤジホイホイそのものとも言える楽曲「ダンス・ファウンダー」が脳内に刷り込まれてからというもの、その動向をウォッチし続けている「フィロソフィーのダンス」(以下フィロのス)という4人組のアイドルグループがいるのだけど、昨今のアイドルブームの中では、ややアウトサイダー的な存在として異彩を放ちながら、いわゆる楽曲派という立ちを確立するに至り、ついにはメジャーデビューを果たすなど、ここ最近、にわかに注目を集める存在になってきているんだよね。


フィロソフィーのダンス/ ダンス・ファウンダー(リ・ボーカル&シングル・ミックス)
穴ぼこオヤジが80’sで形成されているのを実感せざるを得ないPV


で、そんな躍進を遂げているフィロのスの楽曲全般を支えているのが「宮野弦士」なる若手のサウンドクリエイターなんだけど、恐らく今後、ヒットメイカーとして、その名が知れ渡ることになるかもやしれずと、穴ぼこオヤジが密かに期待している若手の一人だったり。
音楽的には、ナイル・ロジャースを敬愛しているだけあって、ブラコンやファンクをベースにした80’sテイスト溢れるサウンドが特徴なんだけど、これがまた、フィロのスが歌うと、クールさとダサさが絶妙にブレンドさせた優れたアイドルポップスへの化学反応が起きるようで、アイドルファンのみならず、音楽ファンの琴線をもくすぐりながら、じわじわと人気を広げてきている次第。

ちなみに、このフィロのスを仕掛けているのが、新人発掘のスペシャリストとして音楽業界ではその名が知られている加茂啓太郎*1という音楽プロデューサーで、何が凄いって、この方、穴ぼこオヤジがかつて新人発掘の仕事をしていた頃から既に業界内では知られた人物で、つまりは20年以上も前から第一線で活躍し続けているというまさに伝説のような人なんだよね。
当時は、今は無き東芝EMI内の個人プロデューサーみたいな形で新人発掘をしていて、残念ながら直接の面識はなかったんだけど、穴ぼこオヤジが足しげく通ったライブハウスやバンドのライブなんかでしょっちゅう見かけてたもんだった。
恐らく、追っかけていたアマチュアバンドがバッティングしていたなんてことも結構あったと思うのだけど、それが今やかつて穴ぼこオヤジが新人発掘の仕事をしていたレコード会社に籍を移しているんだから、不思議な縁も感じてみたり。
とはいえ、もはやレコード会社自体が吸収合併を繰り返していて、僅か数社となってしまったので、必然の流れではあるのだけれど...

とまぁ、そんな歴戦の加茂さんが、自らプロデュースを行って結成したのが、フィロのスという訳で、アーティスト性をまといつつ、アイドルグループという枠組みを超えた支持を集めているのも、彼のキャリアを考えればある意味当然の話ではあるんだよね。

で、話をフィロのスに戻すと、穴ぼこオヤジの涙腺崩壊ソングでもあるアニメけものフレンズの「ようこそジャパリパークへ」の歌詞で「姿かたちも十人十色 だから魅かれ合うの」という素敵な一節があるのだけど、フィロのスがまさにそれをリアルに体現していて、ステージから発せられるメンバー4人の個性がそれぞれに輝き、重なり合うことで、多様性や受容性といった世界観までをも垣間見せ、見る者に救いの手すら差し伸べてくれているように覚えてしまうのだけど、アイドルグループは数あれど、そんな「愛」や「希望」のような感覚を抱かせてくれるのは、フィロのスだけなんだよなぁ。

エンタメと狂気の際を行く、抱腹絶倒は避けられないギリ放送禁止レベルのインストアライブ


でもって、パワフルなボーカルのハルと艶っぽいボーカルのマリリの好対照なツインボーカルが、フィロのス最大の武器ではあるんだけど、穴ぼこオヤジ的には4人のコーラスワークに、実は魅力を一番感じていたりして、まさに4人の個性と調和が織りなすバランスがなんとも絶妙なんだよね。
おまけにライブでの再現性や安定感もあるので、他のアイドルグループとは一線を画す、音楽的なクオリティも保っているし。
そしてそれは、宮野弦士のサウンドプロデュースの手腕によるところは疑いようのない話で、そんな制作スタッフとアイドルの良質な関係によって、独自の黄金比を生み出すことに成功している、一つの理想形なんじゃないのかな。

www.youtube.comアイドルグループの枠組みはもはや不要なライブパフォーマンス


恐らく、彼のプロデュースによって彼女達の魅力が引き出されてきた一方で、彼女達の存在によって、彼の才能もまた引き出され、まさに互いに成長し合う関係が構築されてきたと想像するのだけど、それゆえに、この先をもっと期待していた身からすると、今回の決断は、とても残念としか言いようがない。
とはいえ、宮野弦士の才能を周囲がほっておく訳はないので、フィロのスのメジャーデビューを期に、互いに袂を分かつタイミングと判断したのであれば、それもまた理解できる話ではあるんだけどね。
フィロのスサイドにとっては、宮野弦士の離脱はかなりの痛手だと思うけど、ただ、加茂さんのことだから、また新たな才能の持ち主のクリエーターをフィロのスにぶつけてくると期待する他ないね。


フィロソフィーのダンス/ヒューリスティック・シティ、ミュージック・ビデオ
まさに黄金比によって生み出された、単なるアイドルソングを超越した、2000年代のシティポップを代表すると言って差し支えない楽曲


あと思うのは、本来だったら、生バンドでも遜色ないライブを見せるフィロのスだけに、もしもコロナ禍が無ければ、今頃、夏フェスなんかで音楽ファンの度肝を抜かしていたかもやしれず、成長を遂げているアイドルやアーティストにとって、かようなライブパフォーマンスの場を失っている影響は計り知れない物があるだろうね。
ただし、アイドルが人々に元気や希望を与える役割を担っているのだとするならば、むしろ、こういう時代だからこそ、アイドルグループの存在が求められるとも言える訳で、彼女達には今だからできる道を信じて、存在意義を存分に高めていって欲しいところ。
いずれにしろ、近々リリースされる新曲含めて、今後の動向も追っかけていくつもりだけど、いやほんと、なんかきっかけさえあれば、いつブレイクしてもおかしくないところまで、来ているんだけどなぁ。

divot.hatenablog.com

一方の宮野弦士については、穴ぼこオヤジがフィロのス以外で気になったアイドルグループの曲も、気が付いたら彼の作品だったりしたことがあって、別に狙っている訳ではないのだろうけど、いちいちオヤジ心をくすぐる楽曲を作るセンスには脱帽するしかない。
そんなオヤジ心を持ち合わせている一方で、自らユーチューブやブログを通じて楽曲制作の過程やノウハウを公開してみせたりと、オープンソース的な制作スタンスはまさに新たな時代の音楽制作者像を提示していたりで、あらゆる面で注目に値する音楽家として、こちらも更なる活躍に期待せずにはいられない。


MELLOW MELLOW「マジックランデブー」MV
穴ぼこオヤジがどハマりしていた宮野弦士による楽曲

www.youtube.com宮野弦士のユーチューブチャンネル。音楽制作のノウハウを自らの楽曲を用いて公開している


そんな訳で歳のせいなのか、時代のせいなのか、昨今の音楽に刺激を受けることが少なくなって久しいのだけど、久々にワクワク感を覚える存在が現れて、今後の楽しみがちびっと増えている穴ぼこオヤジなのでした。

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校則で拘束

都立高校の校則で、ツーブロックの髪型を禁止していることが、話題になっているらしい。

穴ぼこオヤジの学校時代から既に校則、体罰、いじめの問題はあったけど、30年以上経った今でも変わらず続いているというか、むしろ酷くなっている感じすらするよね。
これを教育後進国と言わずしてなんと言おう。

てか、そもそも都立高校って、それこそ坂本龍一らの学生運動によって、制服を廃止させたり、いわゆる学生の自由を勝ち得てきた歴史があるはずなのだけど、知らぬ間に過去の産物となってしまったようだ。
何を隠そう、当の穴ぼこオヤジも、制服がほんとに嫌で、というか制服を着る理由が皆目分からなくて、なので、私服で通えるっていうことだけで都立高校に進学した口なんだけど、先日、ネットサーフィン中に、たまたま母校の校則事情を知る機会があって、もちろん私服はとうの昔に禁止にされ校則もかなり厳しめな高校に変わっていて、愕然としたばかりだったんだよね。
そんな訳で、ツーブロック禁止もさもありなん。
かつて高校生の自由の象徴だったような都立高校が、今では制服や校則で生徒を縛り付ける管理教育を行うようになるとは。
まぁ時代背景も異なるので、管理教育の意味合いも多少違ってきているのかもしれないけど、少なくとも昨今の保守化の流れを象徴しているように思えて仕方がないよね。
果たして、今の都立高校で多様性を学ぶことはできるのだろうか?

ちなみに、個人的にちょっと面白い現象があって、穴ぼこオヤジが通っていた中学校の方はというと、転校当時に教師の自殺事件があったりとかで、やや荒れ気味で色々な問題を抱えていた中学校だったんだけど、それが時を経て、なんと今や時代の先を行く学校として、全国的に注目を集める中学校になっちゃっているんだから、ほんと世の中分からないよね。

www.asahi.com

その他の小中学校でも、宿題や校則廃止など生徒の自主性を重んじる改革路線の学校の話はたまに耳にするのだけど、一方で都立高校に入ると途端に保守化しちゃうんだから、生徒からしてみたら訳分からんだろうな。

近年「親学」という、保守系の連中が唱えるなんちゃってな教育論を推し進める与党系議員の存在なんかが、教育行政を破壊している側面もあったりで、恐らく都立高校の保守化は、その産物かと。
それこそ日教組あたりが標的にされたりして、労組の弱体化による教師の労働環境の悪化なんかにもリンクしている話なんだと思う。
そら、校則を厳しくした方が先生も管理しやすいだろうからね。

そういえば、コロナでも思ったのだけど、日本って、ほんと管理されるのもするのも大好きな国民性だよね。
おまけに無能な管理者だらけなもんだから、そりゃ国家が劣化するのも当たり前の話だよ。
そのうち、校則だけじゃなくて、法律でツーブロックが禁止になる日がくるかも?

ちなみに、穴ぼこオヤジが通っていた都立高校はほんとに自由だったので、一度、髪型をパーマにしたことがあったんだけど、伸び盛りなのは髪の毛も同じで、張り切って美容室に行ったものの、まったくパーマが掛からず、あろうことか、おしゃれとは程遠い、おばさんパーマにしかならなかったというほろ苦い思い出も。
う~ん、それこそ校則が厳しかったら、ほろ苦い思い出を残さなくて済んだのだろうか...

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