穴ぼこ生活

穴ぼこの空いた数だけ書き記すお気楽ブログ。穴ぼこ人生ここに極まリ!

3月11日のマーラー

いつの頃にマーラーという作曲家の存在を知ったのかは定かではないけども、
おそらくは、中学生の頃に熟読していた「FM fan」というFM情報誌の特集記事かなんだったかのように思う。
その頃の穴ぼこ少年はというと、ついさっきまでザ・ベストテンを見ていたはずが、なぜかいきなり洋楽に目覚めてしまい、毎週FEN*1が放送していた「アメリカンTOP40」という4時間のラジオ番組を、ビルボードのチャート片手にラジオにかぶりついて聴いているような中学生だった(笑)
即ち、クラシック音楽には、大した興味を覚える事も無い年頃だったのだけど、
何故か、ろくに聞いたこともない「マーラー」という作曲家の名前だけは、記号のように頭にインプットされていたように思う。

で、その後、音楽の知識や情報量が増えていくと共に、マーラークラシック音楽の事も少しは知るようになるのだけど、それでも好んで聴くような事はまだ無かった。
にも関わらず、何故だか自分の中でマーラーが、何か特別な存在のような気がしていたことだけは、なんとなく覚えている。
いやホント、まともに聴いたことすらなかったのに(笑)
思うに、マーラーに関する話題やレコード評なんかの記事を斜め読みしながらも、異彩を放つ作曲家であることをなんとなく感じ取って、中途半端な興味で聴いても、到底理解できない作曲家であるというイメージを自ずと描いていたのかもしれない。


FMラジオのタイムテーブルを網羅した情報誌。
カセットテープ世代のバイブルだった(笑)

それから数10年が経ち、ぼちぼちクラシックでも聴いてみっかという心境に至るオッサンになったある日、
中古で買って聴いていたクラシックのオムニバスCDの中で、どうにも引き込まれてしまう楽曲と出会うことになる。
交響曲の中で最も美しい旋律とも言われる、マーラー交響曲第5番第4楽章。
そう、中学時代からなんとなく気になっていた、あのマーラー交響曲(笑)

その瞬間、マーラーに抱いていた漠然としたイメージが結実する感覚に襲われ
そして、マーラー交響曲をきちんと聴かなければいけない、いや聴きたい、と思うようになったんだよね。

そうして、マーラーを本格的に聴くようになった訳なんだけど、
次第に、なぜ、マーラーが他の作曲家とは異なる存在感を放ち、なぜ、人は彼の交響曲の虜になってしまい、
そしてなぜ、自分の中にマーラーがずっと存在し続けたのか、なんとなくわかるようになってきた気がする。

不協かつ不安定な旋律と甘美で繊細な旋律が同居し、心地よさをあえて裏切るような展開を見せたり、めちゃくちゃ地味で、めちゃくちゃド派手な演奏が無秩序に現れたり。
マーラーを聴いていると、相対する感情や世界、例えば生と死や創造と破壊といったような対極的なものを抱えて葛藤しているような、なんともいえないエネルギーが満ち溢れているように感じる。
中には、聴いていてグッタリと疲れてしまう交響曲もあるぐらい(笑)
ちなみに、マーラーは、常に死の存在に取り憑かれていたとも言われ、心理学の祖でもあるフロイトの診察も受けたことがあるのだそうな。
そんな彼の、世界観やエネルギーに、どうにもシンパシーを抱いてしまい、
そして、自分の思春期から未だに引きずり続けている葛藤とシンクロしてしまうんだよね(笑)
そんな訳で、穴ぼこ生活にとって、マーラーは、ちょっと思い入れのある存在となっているのです。

とまぁ、なんでまた、のっけから長々とマーラーについて語っているのかというと、
昨晩、NHKで放送していたとある番組を見て、深い感慨にふけってしまったから。

NHK総合テレビ「3月11日のマーラー」
番組内容:
去年3月11日、多くの音楽会が中止される中、新日本フィル定期演奏会は決行された。演奏されたのは、マーラー交響曲第5番。奇跡的なものとなった演奏会を再現する。

何の気なしに見始めてしまったからかもしれないけど、思わず引き込まれてしまった。
まず、あの大震災当日に、決行したクラシックの演奏会があったという事実に驚き
で、何より凄かったのが、その演奏会で奏でられていた響きそのものであり、
そして、その曲目がマーラー交響曲第5番であったということ。

番組では、唯一記録用として残っていた劇場の固定カメラの映像が使われていたのだけど、
記録用の映像と音声にも関わらず、そこには、とてつもないエネルギーが宿った演奏の様子が映し出されていて、まさに言葉を失うほどだった。

マーラー交響曲第5番は、いきなり第1楽章から葬送曲ではじまり、混沌とした展開から、第4楽章では、妻アマルに捧げたとされるロマンチックなアダージェットへ、そして最後の第5楽章で歓喜を迎えて終わる壮大な交響曲なんだけど、まさにその日に起きている大震災の出来事と、恐ろしいほどに重なり合っているんだよね。

マーラー:交響曲第5番

死から始まり、色々な感情が揺れ動く中で、愛を経て、歓喜に導かれる交響曲の世界と
地震を目の当たりにし、恐怖や不安を抱える中で、演奏に臨むオーケストラの現実の世界とが結びついて、
劇場にいた人全員がシンクロしながら、異次元の演奏会に到達していたように思えた。
あの極限状態の中で、マーラー交響曲によって、突き動かされるように演奏に没頭し、限界を超えたパフォーマンスとなって、奇跡的な瞬間が生みだされたのだと思う。

大災害の真っ只中に、演奏をし、聴きに行っている場合なのかと自問自答する一方で、
そんな時だからこそ、演奏するしかないと感じ、聴きに行きたいと語っていた、当時の人達の言葉がとても印象的だった。

大震災以降、やたら「音楽の力」みたいな言葉が安易に使われるようになった気がするけど、個人的には嘘っぽく聞こえてしまう時がある。
というのも、震災から穴ぼこ生活で音楽を聴くようになるまで、何気に1ヶ月近くかかったりして、とてもじゃないけど暫くは音楽を聴きたいと思うような気分にはなれなかった。
むしろ音楽を聴くことで、自分の感情が動かされるのが怖かったようなことを、なんとなく記憶している。

ただ、今回の番組を見て「音楽の力」に別の意味があることに気づいてみたんだよね。
あの日の劇場がそうであったように、音楽の力で、人と人とが繋がり合うということだったんだなと。
抱えきれない不安や恐怖を、劇場に集まって皆と繋がることで、共有し、互いの存在を感じあおうとしたんじゃなかろうかと。
そして、マーラー交響曲第5番を通じて、絶望の中から希望を見出そうとしていたんじゃなかろうかと。
つまりは、音楽の力でなくて、音楽で繋がろうとした人々の思いによって生まれた力なんだと。

あの日の演目がマーラーだったということが、単なる偶然なのか必然なのかは、まさに神のみぞ知るってところなのだろうけど、少なくとも奇跡が起きていたことだけは、間違いないよね。

もし、自分がチケットを持っていたら、果たして聴きに行ったのだろうか?
色々なことを感じさせてくれた、凄い番組でした。
相当、反響があったんじゃないのかな?
是非、再放送して欲しいね。見逃した方は、その機会にどうぞ。

そういえば、この穴ぼこブログも、震災体験をきっかけに、今までと違う世界との繋がりを求めたいと思って始めたのが、理由のひとつだったりするんだよね(笑)
そんな訳で、間もなく開設してから1年が経とうしておりますが、実は、延べ10,000回以上も繋いでいただいたことに気づいてみた(笑)
ひっそり且つのんびりとした、そしてなにより、単なるオッサンのよもやま話ばかりのブログなのに、ありがたやありがたや、というかちょっと恥ずかしいような、申し訳ないような...(笑)
でもって、今後ともよしなにお願いします。
ということで、今日は、色々と思い感ずる日でもあったので、ちょいと熱いオヤジヴァージョンでお届けいたしました(笑)

*1:駐留米軍向けのラジオ局